上期の終わり、下期の始まりの今日この頃皆さんはどうお過ごしだろうか?
私こと無能社畜は、上期の個人業績の不振によって上司に絞られていた。
最近仕事の改善について語ってきていたが、今回は仕事マインドについて語る。
今回の記事はある意味反面教師的な話をするので、これからスキルアップしたいとか考えているひとごめんなさい。能力的に低い部下を持っている上司はちょっと考えてみてほしいネタです。
個人業績不振の原因
上期の状況の悪さ
上期の仕事は「社内のシステムの改善と運用」に対し、
- 自分の持っているスキルセットとあってない。
(社内の要望を吸い上げて対応するコミュ力なし) - 上司の考えている仕事の方向性と自分の考えている仕事の方向性があってない。
(ユーザーの要望を多少無理してでもかなえたい上司vs自分の仕事が増えない範囲でやりたい私)
まさかのwill-can-mustの中でcanとmustが外れている。
すなわち、上期の仕事は自分のできることと上司からの期待が乖離していてつらい状況になっていたのだ。
主体性の欠落した社畜
私自身は仕事でキャリアアップしたいといった志向はない。
なぜなら、
- キャリアアップした結果、やらなくてはならないことが増やされて窮屈になってくるから。
→学生時代から、活躍している人にやることが集中して、大変になっていく様を見続けてきた。 - 会社の仕事は会社の看板で仕事をするのであって、自分に対する蓄積がスキル以外にない。
→要は頑張って仕事しても還元される余地が少ない。さぼっているか会社でスキルトレーニングする意識以外ない。
こういった事情があるため、会社で与えられた仕事に対して、成果が出るように行動をしろとかそういったことを言われたとしても自分にとって負担のかからないことを第一に仕事をし続けた。
また、報告についても基本的に他人事のように話しているので、「もっと主体性をもって仕事して」とよく上司から指導される。
そもそも社畜に主体性がいるのか?
大半の人の仕事をする理由は、お金であることは納得できる人は多いだろう。
私ももちろん仕事をしている理由はお金以外はない。(意識高い人が言うようなやりがいは全く重視しない)
それゆえに、仕事が単調な仕事だろうが、人からまったく評価されない仕事だろうが私自身にそこに思いがない。(ある意味仕事をえり好みせずやるということは多少は評価されていいのでは?)
だが、会社としては最近の働く人のトレンドを意識してかキャリアプランとか提出させて、それをもとに仕事を割り振ることによって、主体的に仕事をしてもらったり、意識高い系の人間の離職を防いだりしたいようだ。
その風潮の中で私は思う。
仕事に主体性はいるのだろうか?
仕事は成果を出す必要がある。→成果を出すにはほかの人を巻き込んだり、積極的な推進が必要→主体性が必要
こういう図式だったりするのだが、社畜に成果を出すために主体性を求めるのは間違っていると言える。
なぜなら、この出した成果はやった個人に帰属せず、会社に帰属する。
それに対して、給料は成果に比例して、あまり個人に還元されない。
本当に成果通りの給料が欲しかったら、フリーランスになるしかないのである。
会社にぶら下がっている時点で成果と還元は紐づかないのが会社員という生き方である。
そんな状況で会社員に主体性が出るだろうか、いやないと思う。
そもそも、成果に主体性がいるのか?
これは、私は声を大にして言いたい。
主体性と成果に因果関係はあるのだろうか?
おそらく、主体性よりも正しく行動させるかであると私は考えている。
主体性は正しい行動をするための情報を得るための手段であって、成果を出すといった結果に対して直接寄与はしていない。
なにが言いたいのかといえば、主体性云々いうよりもどうしたら正しい行動なのかとかどうしたら正しい行動を人にさせることができるのかの検討が上司に不足しているのではと常々考えている。
主体性を強要する上司は、自分が部下に正しい行動をさせるための行動を放棄している。
要は、上司は仕事をしていないといった結論になると思う。
※私の認識では、上司の仕事は部下にいかに成果を出せるように行動させるかだと思う。
結論:成果を出さない無能の裏に仕事してない上司の姿あり
下っ端社員は要は人のいうことをそのまま実行する意志のある人形のようなものなのだから、そこが成果を出していないということは、つまり、操る人間が仕事をしていないのだ。
確かに、部下が主体性をもって動くことで成果を出す正しい行動を自分で導き出すことで上司の負担は減るし理想だ。
しかし、それを部下に強要するのが上司の正しい姿なのだろうか?
部下よりも高い給料・大きい責任・権限を持っているのだから、部下に頑張らせるのでなく自分が主体的に動き「正しい行動」を実施していってほしい。
こうして、圧倒的第三者意識を持っている無能社畜は、上司のサンドバックになりながら、ある意味上司の無能さを嗤う。