私は、3年前まで実家から片道2時間程度かけて通勤しているいわゆる子供部屋おじさんだった。(年齢的には27歳なので子供部屋おにいさんといったところか)
子供部屋から脱出して東京で一人暮らしすることは正直言ってかなり葛藤があった。
なぜなら、
- 生まれた時から、住んでいる心地よい空間。
- 3食上げ膳据え膳・掃除・洗濯を自営業をしながら完璧に近くこなす母の存在
- 始発のほうなので座れるし2時間の通勤も読書の時間と考えれば意外と悪くない。
- 働き始めてから実家に家賃を払っていたが、いろいろ融通が利いていたので、お金がたまった。
今から振り返ると子供部屋から脱出するのはあまりメリットがなかったように感じる。
1年半前に新型コロナが流行りだしたころから会社が在宅勤務を奨励していて、自宅からほぼ外出しなくなったことで、もろに東京に出てきた意味を考えるようになってしまったのである。
本日のおやつの時間は、なぜ私は子供部屋を脱出したのかをネタにいろいろと話を進めていきたい。
今回は、結論とかは特にありません。
20代後半の埼玉に住んでいた男がどんな思考してて、何を思って東京に出てきたのかを綴っていく。
体力の限界
「仕事が終わってから2時間の帰宅はかなりのハードワークだった。」
「自分は16時間の起きている時間のうち4時間が通勤で消滅しているんだぜ」
というのが理由である。フツーに通勤がつらいです。大学から含めると10年近く往復4時間を通勤・通学に使っていた自分をほめてあげたいくらいである。
後半のほうなど、電車通勤している間に肩や腰が痛かったので、こんな生活を長く続けるのは厳しいだろうなと感じ始めていた。
婚活の限界
当時27歳だった私には結婚願望が少なからずあった。
子供が欲しかったので結婚するなら若くて体力があるうちにと思っていたのと、恋愛経験がなく変に恋愛をしているよりさっさと条件ありきで結婚してしまったほうがコンプレックスを刺激されずに済むと考えたからだ。
不妊にはよく女性側がやり玉に挙げられるが、男性の年齢のほうも重要という情報もあるし、何より赤ん坊の夜泣きに対応した後の生活ができる体力があるのは20代が限度だと考えていた。
また、恋愛経験がないので、女性をエスコートするにはどうしてもぼろが出るので、そこを帳消しにするにはある程度条件面で有利にしておいたほうが普通の恋愛に比べて、幼少期から真面目でつまらないことが取り柄のような私には似合っているきがしていた。
婚活をしようとしたときに、埼玉の実家のあったあたりでは、あまり若い人がいなかったので条件でマッチングするには絶対数が足りず、東京にするとそこそこ人数がいることが確認できていた。
東京に出てきた時に思ったこと
異次元の通勤時間
賃貸で借りるときにたまたま会社の近くで格安のアパートが空いていたので、入居した。
通勤時間は片道2時間から10分に短縮された。
埼玉から通っていたときは朝6時に起きていたが、今では8時過ぎに起きても間に合ったしまうのである。
なんでも世話焼いてくれた母はもういない。
東京に来て最初からつらいと思っていたのが自炊である。
実家が飲食店でありながら、厨房にはあまりたたせてもらっていなかったので、料理はほぼできない。
これには困った。だが、東京に出て、独り立ちすることや結婚して、奥さんが忙しい人だった場合に自分で料理くらいでできんでどうするんだという思いがあったので、なんだかんだで自炊してた。
この当時はあまり親離れできていなかったので、毎週自炊している料理の画像とかをたびたび、両親に報告してたら、両親としては、最終的にコンビニ飯やカップ麺に落ち着くと思っていたらしく、軽くビビっていた。
生活するだけで金がかかるもんだねぇ。
アパートの家賃だけで、実家で払っていた家賃を超えていた。それに水道・光熱費・wifiととられるとられる。
冷蔵庫や洗濯機を新しく買ったのでとにかくお金が減った。一人暮らしを始めようという人向けに代替どのくらいかかったかを思い出せる範囲で内訳だすと
- 冷蔵庫:1.5万円
- 洗濯機:1.5万円
- ベッド:1万円
- こたつ(兼デスク):0.5万円
- 家賃:6万円(敷金・礼金はそれぞれ6万円)
大体20万円くらいかかった。実家暮らしで貯金していたお金をかなり失った。
上記が一時金くらいで、以下お金が毎月なくなっていたのである。当時の家計簿があったのでちょっとさらす。
- 家賃:6万円
- 水道・電気・ガス・wifi:2万円
- スマホ:1万円(当時プラン見直ししてなくてこの程度かかってた、今はahamoにして3000円)
- 雑費:2万円(当時服もあまり持っていなかったので買いまくっていた)
- 食費:3.5万円(自炊してたが材料焦がしたりして無駄にした分とストレスで爆食いしてた)
今から見直すと割とやべー金額使っていました。当時手取りが19万円だったので、手残りが4万円程度だったはず。実家にいたときは5万円を実家に渡していたので14万円近く自由にお金が使えたのを考えるとひどい落差。
振り返ってみて
なんか、通勤時間以外は何かと負けている気がする。
だだ、自炊するスキルがついたし、なんとなく実家で暮らすと見えずらくなっていたお金について考えるきっかけになったのは良かったのではないかと言って今回のお話を締めくくりたい。
今回は、割と普通に雑談のようなネタでした。それではまた。